事務所を移って、はや3カ月。円頓寺の近くに引っ越したことを知った野外活動研究会の岡本信也さんから、昭和7年に発行された「百萬・名古屋」という本のコピーをいただいた。島洋之助という人が著した本で、今和次郎の大東京案内に似せて、人口100万人の当時の「名古屋の全貌を忠実に書いた」とある。
円頓寺に関する記述はこう始まる。
「広小路が名古屋の銀座なら、円頓寺は名古屋の心斎橋だ。円頓寺は道幅が狭い。そして店舗も大阪式だ。歩いている人達も、広小路のようなモボモガではなく、附近の土地のお内儀や、商家の番頭小僧及び西の工場地帯に住む人達だ。」
そして、活動写真館、カフェー、バア、江川端筋に並ぶ夜店・・・どれも「盛り場として、広小路などより古典的で俗っぽいところが、円頓寺の特徴ではあるまいか。」と言う。
戦争で焼けて町の佇まいは変わったのだろうが、根っこのところは今も変わっていないように思う。庶民的で、懐かしくて、ちょっと怪しげで・・・。円頓寺商店街に行くと心がウキウキする。
ちなみに「百萬・名古屋」は知る人ぞ知る名著で、しかし持っている人は少ないという希少な本。岡本さんは「なんとか復刻したい」とおっしゃっている。
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